すぴりちゅある

すぴりちゅある

信頼できない、いい加減な奴ら。

言うまでもなく、-


国や社会を支えているのは、真面目で善良な「善人」であるけれど、その「善人」に依存して自分勝手な要求や理不尽や不正により、不当な要求をするのが「悪人」だ。ヤクザ、異常者、犯罪者、詐欺師、犯罪者的な人物、etc。


もし「善人」が居なかったら、少なかったら、社会は暴力や殺し合いの世の中になるだろう。


歴史を遡れば、明らかにそういう時代もあった。


日本の戦国武将は、破壊力を武器に、他の武将や一族に横暴な略奪行為をしたり、乱暴や残虐行為を働き、諸事につけ自分たちの思いのままにしようとした。
現代では到底、許されない破壊行為であり、重大な犯罪になる。


そういう異常な人物が、今でも残っているとしたら?


彼らは、例外的な存在ではあるけれど、資金力、財力、人脈などがあり、戦後の民主主義社会でも、勝手にのさばっている。


そして政界とも結びついているとしたら?


知らないうちに、多くの国民は、奴等の術中にはまっているかもしれない。


ところが、どこの国でもそういう傾向があるが、国民の大半は愚者(Fool)や貧者(Poor)である。


どこの国でも、多くは、


貧しかったり、欠点や短所が多かったりして、面倒なことは嫌いだから、勉強不足で無知だったりする。現実や事実を知らないまま暮らしている。そういう愚者が多ければ、悪人は支配しやすい。


悪人というのは、だいたいにおいて、狡猾(ずるくて)、嘘が多くて、裏表があり、偽善的で本心を隠す。


悪い奴が、飴と鞭で、民を支配することに気をつけろ!


他人を支配するというのは、究極的に言えば、たとえば、土地や金などの財産を奪ったり、他人の権利を奪い取ることだ。彼等は、異常に欲が深いから、自分のものだけに満足せず、他人の権利や財産まで奪いたくなる。


悪人の多くは幸福ではない。幸福であれば善人化するだろう。つまり、幸福感が分かる人間は、さほど多くの金銭や財産を得られなくても、満足感を持ち、日々を送れる。何かしら、ちょっとしたいい事があれば、幸福感を得られる。


しかし、不幸な人間は精神的な幸福感がないから、代償として物や金に強く依存する心の病気にかかっている。


贅沢をしたり浪費しまくるから、余計に金が要る。


欲望が強ければ、さらに金銭や物、快楽の追求度は増す。


さらに、誇大妄想もあり、


誇大妄想の人物は、非現実的な空想世界を実現したくなる。


万里の長城、ヴェルサイユ宮殿、ビバリー・ヒルズの豪邸、etc。


これは、大方個人的な「夢」の実現願望であり、途方もない金や支配力が必要になる。


また、他人に対する異常な優越願望。王だ貴族だというのも、そうした優越願望や他人差別心に基づいている。


インドのカースト制、まだ世界に残存する王室や貴族の世襲的地位、階級、人種差別、


こういう異常者が存在するために、社会の多くは善良で真面目で勤勉な「善人」であるとしても、一部の「異常者」の為に、混乱させられるのである。


このように、いつも世の中には、信頼できない、いい加減な奴らが混在しているのである。